「ブラインドネス」


先日、フェルナンド・メイレレス監督の「ブラインドネス」を見た。


映画の紹介文を読むと、パニック・サスペンス映画のようだ。メイレレス監督がパニックムービーを作るというのは意外だったし、なによりガエル・ガルシア・ベルナルが重要人物として出演するらしい。それだけの動機で見に行ったのだが、良い意味で期待を裏切られた。素晴らしい作品だった。が、ネット上に酷い勘違いレビューがあふれていてムカついたので、以下を書いてみた。



以下、映画の感想(ちょとネタバレ)




映画の紹介でパニックやサスペンスと言った単語が並ぶため、誤解されるかもしれないが、この映画はパニック映画ではない。人間ドラマだ。


視力を失った人々が、不安と絶望の中で寄り添い、繋がり合い、視力が正常であった時には見えなかった(理解出来なかった)愛情や信頼に目を向けて行く。そういう繋がり合おうとする人々の希望の物語だ。



多くのレビューで見るように、第三病棟の王が引き起こした「パニック」は見所の一つではあるかもしれない。権威を批判していた第三病棟の王は、視力を失った世界で価値があるのかも疑問に思える金品を要求し、新たな世界での権力者になろうとする。その愚かさも見所だろう。だがそれはそれとして、この作品の中で第三病棟の王に注目していてはテーマを見失う。


この映画における第三病棟の王の役割は、人間が醜く変貌する姿を示す事ではなく、日常世界にあるにも関わらず人々が目を背けていた事柄(暴力による支配、レイプなど)を見える形で示すことだ。その上で制作者が見せたかったのは、視力を失って初めて問題に対峙せざるをえなくなった人々の姿なのではないだろうか。



その辺りは、日本人夫婦に象徴されている。冒頭では強い口調で話していた妻だが、次第に口数が減り、秘めていた本音を吐き出す。はじめに視力を失った男である夫は、視力が正常であったときに「見えている」と思っていた妻の心が、視力を失ってはじめて「見えていなかった」ことに気付くのだ。そして、物語の最後に発する彼の言葉が、監督のメッセージなのではないだろうか。どんな状況になろうとも、人々の心が繋がり合っている限り、世界は美しい。



映画は見る人によって見解が違うのは当然だし、そうでなくてはならない。ただ、この映画に関しては、宣伝文句に流されて正当に評価されていないように感じている。もったいない。