じゃー私達は、何をしましょうか?

asahi.com < イラク情勢 >
2日間で死者150人 イラクの宗派対立さらに激化
2006年3月28日
http://www2.asahi.com/special/iraq/TKY200603280136.html
  
 イラクでの内戦(?)のニュースを見聞きすると、悲しみより罪悪感を感じるのは私だけでしょうか。私達は、遠く離れたこの安全な日本で「戦争なんて愚か者のするものだ」と分かったような顔をして、ただ何もせずに、人が死んで行くのを見ているだけ。イラク国内の事だとはいえ、私達にも責任の一部がありはしないでしょうか?「責任がある」と言うのが言い過ぎなら、「私達には内戦回避のための努力ができたはずだ」という表現ならどうでしょう?
 
 私が言うところの“私達”とは、日本政府であり、日本国民であり、ただシンプルに私自身でもあります。私は(傲慢かもしれませんが)その気になりさえすれば“私達”は紛争解決に向けた強い発言力、影響力を持っていると思うのです。もちろん、軍事力を使っての介入や、一方的な内政干渉はすべきで無いのは言うまでもないことですが。
 
 
 “私達”とイラクの混乱が、経済的、思想的、社会的、政治的にどう関係し、どう影響し合っているかは、どこかの賢い人の分析に任せることにして、私は「日本人には紛争解決の力を持っている」と思うようになった小さな出来事を紹介したいと思います。
 
 
 6年程前、ブラジルのリオデジャネイロにあるストリートチルドレンの保護更生施設「サンマルチーニョ慈善協会」で、施設で生活する子供たちと日本人との交流を取材させて頂きました。
 
 リオでは貧困や家庭内暴力などが原因で家を出て、路上で暮らすようになった子供たち、ストリートチルドレンが2000人以上いるといわれています。彼らは教育を受ける事もなく、ひったくりや万引きを繰り返したのちマフィアなどの大きな犯罪組織に取り込まれるケースが少なくありません。そう言った「危険な子供たち」は、おおむね邪魔な存在と考えられ、簡単に殺害されてしまう事もあります。

  「サンマルチーニョ慈善協会」では、社会から疎外された子供たちの心の傷を癒し、社会に復帰させる活動をしています。まず、職員が街に出てストリートの子供たちを一人一人説得。本部に来て食事をとらせ、仲間がいることを理解させます。はじめは食事目的で来ていた子供たちも、次第に友達と遊ぶことの楽しさを知り、信頼できる大人がいることを感じ始めます。ある程度集団行動に慣れて来たら、寮に入るよう促し、ストリートでの寝起きから同じ場所で生活することを学ばせます。寮に入ると学校に行くことを許され、さまざまな権利と共に義務も課されます。寮の掃除や食事の準備、本部の管理。そして職業訓練として、本部で木製の玩具などの製造も義務となります。私が会った子供たちは、職業訓練で収入を得て、そのお金で購入した靴を自慢げに披露してくれました。自分が規律を守り、労働し、その結果得た生活に満足して、誇りを持っているのです。また、子供たち同士や職員に対する信頼も厚く、寮に住む14歳の少年はインタビューで「こいつ(同室者)は僕に尊敬の意を持って接してくれる。だから僕もこいつを尊敬の意を持って接するんだ。」と答えてくれました。数年前まで、路上で生活し犯罪を繰り返していた子供です。
 
 その後、人によっては大学まで進学する子供もいますが、もともとはストリートで自由に生活をしていた子供たち。なかなか集団生活に馴染めず、路上に戻って行く子供もいるようです。最終的にどれ位の数の子供が社会復帰するのかと言う質問には明確な答えを頂けませんでしたが、寮に入るまでが大変で、その時点で半分ほどの子供が挫折をすると言うことでした。
 
 私は、日本のNGOのプログラム参加者と一緒に14歳から16歳の男の子たちが暮らす寮に一泊させて貰うことになりました。昼間、本部で子供たちと交流する時間があったのですが、とにかくブラジル人は元気。日本人がそんなに珍しいとは思えないのですが大騒ぎでした。職員に話しを聞くと、日本人と同じ席で食事をとり、日本人とサッカーをすると言うのは、常に虐げられてきた彼らにとって特別な意味があったようです。
 
 夕方、クーラー付の貸切バスに子供たちと私達が乗り込み、相変わらずの大騒ぎ状態で彼らの寮に移動しました。その頃には、日本人の若者とブラジル人の子供たちは、意気投合。肩を組み合い、背中に手をまわして寮に入っていきました。
 
 その晩、通訳を通してディスカッションの場が設けられ、彼らの生活や、将来の夢の話しなどを聞いている時です。明日の朝食を買いにスーパーマーケットに行っていた子供たちが、バタバタと駆け込んできました。早口で仲間に何かを伝えています。その真剣な表情から、ただ事では無いことだけは分かりました。
 
「この地域は変わるかもしれませんよ。」
 
 通訳であり解説役のリオデジャネイロ州立大学の日本人教授が、笑いながら説明をしてくれた事には、街の白人の対応がいつもと違うと言うのです。これまでは、この寮に住んでいると言うだけで、スーパーでは見張りがつき、地域で犯罪が起きれば真っ先に疑われる状態だったそうです。何度も寮移転の圧力がかかったと言います。それが、今日は見張りがつかず、レジの担当者も「普通の客」としての対応をしてくれたと。理由を店員に聞くと、「君たちは安全だと言うことが分かった」からだそうです。日本人と一緒にクーラー付バスに乗って帰って来た事、日本人が今晩寮に宿泊する事、たったそれだけの事が周辺住民の意識を変えたのです。寮は「日本人が泊まっても安全な場所」であり、「日本人が肩を組む事を許される」子供たちで、安全な子供達なんだと、数時間の間に知れ渡ったのです。寮の子供たちにとっても大事件ですが、私達にとっても衝撃的でした。もともと日本人は(ブラジル人に比べてはるかに)「平等であるべきだ」と言う意識が強い国民性ですし、特に若い日本人にとってブラジル人は白人も黒人も同じように「格好良い」という良いイメージあるのではないでしょうか。日本人にとっては良いイメージのブラジル人と楽しく遊ぶと言う「普通の行動」が、たんに「寮に居た」と言うことが、数時間で周辺地域の意識を変えたのです。もちろん、サンマルチーノ協会のこれまでの努力があってのことなのですが、良くも悪くも「日本」のブランドイメージは強いのだと思い知らされました。
  
 
 そして、私達はどう転んでも回っても「日本人」なのだと思い知らされました。パーソナリティーがどうあれ、海外に出れば「忍者の国」「北野武の国」「敗戦国」「憲法9条」「唯一の被爆国」「戦後の経済成長」「小泉首相の国」これらを、背負わなければいけない。関係が無いとはいえない。
 
 とても怖いことではあるのですが、同時に有難いことでもあります。私の印象でしかありませんが、世界には日本人にいいイメージを持っている国が多いように感じます。紛争地域に出かけたカメラマンが、日本人だと言って窮地を逃げ切った話しはよく聞きますしね。
 
 日本人である事は、どこまで行っても追いかけて来る。であれば、自分にとって誇りを持てる国、どこに行っても友好的な対応をして貰える国、そして良い意味で影響力のある国にすべきなのでしょうね。
 
 
 日本政府はイラクに対してODAを決めたようですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060329-00000006-san-pol
外務省の管轄からJICAに一元化されて、良い形で援助ができればいいのですが。
 
 
 ではその上で、その影響力を使って、私達はどうしましょうか。ただ、ソファーに身を委ねて「差別は愚かだ」「戦争なんかくだらん」と毒づくだけか。仕事を辞めて生活を捨てて、イラクに入るのか。どちらも良策だとは言えません。 
 
 きっと、とても簡単な事なのだと思います。イラクについて、戦争について考える事。考え方はどうあれ思い切って発言する事。自分が支持する活動に協力する事(含む募金。お金は大事です!)。新聞や、しっかり取材をされたルポなどはお金を払って購入する事。ニュースや、報道特集の視聴率を上げる事に一役かう事。これだけでも、すべての日本人が行えば、もの凄い力になります。日本人だからこその「力」でもあるのです。

 
 そして、一番大切な事は、私達が幸せに生きる事だと思います。平和で穏やかで優しい社会を作り、世界中が憧れる、見本となるような幸せな生活を営む事が、一番の貢献なのだと思います。
 



ん?なんですか?キレイゴト?そうさ、キレイゴトさ。だから何?文句ある?