「Little Brids  ー イラク戦火の家族たち ー」


映画祭 3本目。ではなく、2本目だった。
先日書いた「GHADAガーダ 〜パレスチナの詩〜」は、3本目にみた映画。まあ、大きな問題ではないが。。。




「Little Brids  ー イラク戦火の家族たち ー」

  監  督:綿井健陽
  製作会社:安岡フィルムズ
  公  開:2005年
  時  間:102分
  受  賞:2005年香港国際映画祭正式招待作品
      :2005年テサロキニ国際ドキュメンタリー映画祭正式招待作品
      :2005年モントリオール国際映画祭正式招待作品
      :2005年JCJ日本ジャーナリスト会議大賞)受賞作品
      :2005年韓国EBS国際ドキュメンタリー映画祭スピリットアワード受賞作品
  http://www.littlebirds.net/index.html



ジャーナリストの綿井さんの作品。彼は、最近テレビでの露出が多いので、ご存知の方も多いと思う。
イラク戦争開戦の少し前から現在まで、バクダッドを中心に撮影された映像を、時系列でまとめている。

先日のブログで、「GHADAガーダ」の監督である古居さんは、この作品を紹介するうえでは「ドキュメンタリー作家」だと書いた。同じ意味で、綿井さんはジャーナリストだ。制作者の意識は視聴者に向けられている。
もちろん、綿井さんのカメラは被写体であるイラクの人々に対して、礼儀を重んじ、とても優しい。カメラは被写体と同じ目線にある。しかし、制作者の思考はもっと“先”にあるのだ。“上”ではなく“先”。
“先”を見るために、時には上に立つこともあるかもしれないが、被写体を見下すことはない。目の前に起こった出来事の真相を見るため、出来事の背景に何があるかを見渡す。そして撮った映像が何を表現し、その映像を見た人に何が伝わるか、そう言ったことを見ているのではないだろうか。
どちらが良いと言う話しではない。ただ、綿井さんはジャーナリストなんだな、と思う。それだけだ。


映像は、かなり直接的だ。テレビではモザイクがかかるであろう“インパクトのある映像”が、次々と出て来る。ホラー映画やアクション映画の1シーンと違うのは、そこにいるのが生身の人間だと強く主張してくるのだ。
恐ろしいのは真っ赤な肉の塊が映し出された時ではない。肉の塊が服を着ていることに気づいた時、血の海の中に靴を見つけてしまった時、瓦礫の中に子供のノートが覗いているのを見た時だ。被害者の日常が見えてくるのだ。
塊が、自分と似たような生活をおくり、昨日まで歩いていた人間なんだと思い知らされる。それが怖い。
 

綿井さんは、多くの怪我人の叫びも収録している。死体は声を出さないが、怪我人は怒りを言葉にするのだ。
「ぼくの足を返してくれ」
「ブッシュとお前達日本人が、ぼくの目を奪ったのだ」
「僕らが何をしたというのだ」
「今は怒りを鎮めよう。神の意思だ」


一度、カメラが非常に動揺する場面がある。
米軍の爆撃で3人の子供を失った父親が、病院の前で怒りをあらわにする。その怒りはカメラに向けられた。
「なぜ、撮影をするのだ。お前は日本人だ。お前の国のせいで俺の娘は死んだんだ。なぜ撮っているんだ!!」
カメラは後ずさりし、、、、次のシーンに。
 
このような批判は、日本人からもされるだろう。綿井さんが、その言葉にどう感じたかは語られない。しかし、この批判をカットせずに盛り込んだこと自体が、彼の「言い分」なのではないだろうか。
「そんなことは分かっている。でも、僕はカメラを回すしかできないんだ」
そんなところでは無いだろうか。あくまで推測だが。。。今度、お会いしたとき聞いてみたい。
 
これは、私の言い訳でもある。私自身、カメラを回しつつ、「なぜ撮影しているか」自問することはあった。人から非難されることもあった。
私の答えは(誤解をうみやすい表現ではあるが)「仕事だから」だ。
カメラをまわし、編集して、現場に来ることの出来ない人に情報を伝える。それが仕事だからだ。役割だからだ。そういう仕事を選んだのは自分自身で、役割をはたす義務があるからだ。もし、私が医者ならカメラはまわさない。それだけのことだ。
もう一つ付け加えると、「スクープ撮ったら、いいお金が入るんでしょ?そのために死体を追いかけ回してるんじゃない?」と言う人がいるが、私の知る限りにおいて、金持ちの戦場カメラマンはいない。(ロバート・キャパぐらいまで行くと別だが。。。)


話しがそれた。もとに戻そう。
病院の前でカメラに怒りをぶつけた男性は、その後も登場する。何かしらのやりとりがあったのだろう。綿井さんに全面的に協力するようになった。そして、この映画の中心的な人物となる。
どんな話しをしたのか知りたい。映画の中ではカットされた、この和解へのプロセスこそが、私達が知るべきことだろう。


あと、この映画で面白いポイントは、米兵のコメントだ。
皆、ヘルメットをかぶり、完全武装の状態で「これでイラクは解放された」と。ギャグだ。
彼らの言うところの「解放された」場所で、機関銃を振り回す。そして、綿井さんから「イラクの人々は歓迎してませんよ」と言われ、ふてくされて「僕らは解放するために来たんだ。だから解放されたんだ」と言う。その目は、“ある意味”純粋だ。何も考えず、判断せず、ただ、上官の言うことを繰り返す。子供のように。彼らも可愛そうな人なのかもしれない。



この映画は、ただ一時期を切り取り、断片的につなげたにすぎない。いくつかの事実にすぎない。しかし、この事実を知ることは意味がある。いつも見ているニュース映像の前後に、こんな映像があったのかと思うこともあるだろうし、自分の知らないイスラム社会もあるかもしれない。カメラに残る綿井さんの言葉は、現場にいるからこその力がある。
  
なにはともあれ、日本人はこの映画を見ることができる。せっかく見ることができるんだから、見て欲しい。
  
 
このページで、上映予定が調べられます。
http://www.littlebirds.net/gekijo/gekijo.html



ちなみに、東京では5月26日に立川で上映されるそうです。

日 時 : 2006年5月26日(金)18:30〜(開場18:00)
会 場 :立川市女性総合センター・アイム 1階ホール
講演会 :綿井監督講演会
主 催 :三多摩憲法のつどい実行委員会
お問合せ:TEL:042−524−4321(三多摩憲法のつどい実行委員会)