気楽に「死ねば?」ってどうよ。

「死ねば?」続けざまにこの言葉に出会ってしまい、取り憑かれ気味です。気になると目に止まるんでしょうね。一週間で3度も会ってしまいました。


一度目は映画。
空中庭園」と言う小泉今日子主演の邦画です。年間パスポートを持っている名画座でやっていたので、特に興味は無かったのですが観てみました。気持ち悪い映画でした。人の神経を逆撫でするの上手すぎです。映像も登場人物の不安定感がよく表現されていたと思いますが、加えて内容が…。
主人公は自分だけが正義で自分と共感しない人は悪だと思っている、屈折した母親。物語の佳境で独り言で「死ね」を連発しはじめ、自分の母親に悪魔退散とばかりに「死ねば?」(泣)
主人公の言い分としては、「自分は子供の頃にまともに愛情を与えて貰えず、おかげで虐められたり辛い思いをした。こんな人がいるから家庭崩壊が起こるんだ!」


二度目はHP
「自己責任」の今井紀明さんが、自分宛てに来た批判の手紙をブログにアップしてるのですが、これまた読むのに体力のいる内容で(泣)ちょっとグロッキー。手紙の内容は、ここで意見する気になれないのでいずれ。
私が気になったのは、そのブログを読んだ人の感想です。手紙をアップする行為自体をよく思わない人も多いようですが(私は話題になった事だし面白いと思うけど)、ある人は「(銃撃された)橋田信介さんではなく今井君が死ねば良かったのに」なんて事を!!部外者の私でさえ心臓がバクバクして脳みそ凍りつきました。橋田さんはイラクに何度も行った経験あり慎重に行動していた(と言う情報を聞いた)から、橋田さんのイラク入りは尊重されて、今井さんの行動は死に値すると言うことなのでしょうか?意味が分からんです。。。どっちも帰って来れた方が良いに決まっています。
その方の主張は「橋田さんの行動は正しかった。今井さんは未熟で考えなし
で、税金を無駄遣いした悪い奴だ!こう言う人がいるから世の中が悪くなるんだ!」と言ったかんじでしょうか。


三度目はミクシーのコミュ
すこし荒れたようです。発端も内容も白熱するような事ではないのですが…「このバカで最悪な奴らこそ死刑!」「こいつらこそ死ね!」「本当に死ねば良いのにね〜。許せない」みたいな発言が気軽に交わされておりました。よくある状態です。


すべての人が生き続けるべきなのか、それは簡単には答える事ができません。死刑制度については反対ですが、脳死状態の方やその家族、重度の障害を抱えている方に対して、背景や関係者の苦しみを理解せず「生きろ」と強要できるのか、その発言に責任を持てるか、私は答えられません。
しかし、なぜ「生きろ」以上に「死ね」が気軽に使われるのでしょうか?この気楽さは危険です。善と悪に二極化させ悪が消えれば善が残る、それだけの発想なのだとしたら、自分とは違う物に対する想像力が欠如してると言わざるえません。加えて日本人特有の集団主義が、想像力の無さ、思考停止状態をお互いに認め合い、思考停止の状態こそが個性だと考えているのではないでしょうか。どこかの大学の教授が日本人は集団主義から個人主義に変わりつつあるとおっしゃっておられましたが、私は集団主義の形が変わったのだと思います。これまでは、出る釘は打たれて吸収されていましたが、今は気楽に引っこ抜かれて排除されるのです。
その引っこ抜かれて「死ねば?」と言われた釘たちが、今後どんな生活をおくるのか、そこに期待をしたいと思います。



最後に、ブログやコミュでの書き込みについて、前後の繋がりを無視してここに紹介し、私が意見をするのはとても失礼で卑怯だと自覚しています。しかも私はこのブログに本名を公表していません。匿名での発言って考えていかないといけないことなんでしょうが、今の私の限界なんです。すいません。



おまけのつぶやき
なんでこんな疲れる話しになってしまったのだ?ジンマシンが出てきた(泣)
明日はもっと楽しい話しを書こうと誓いつつ。おやすみなさい。