同じ視点で見ると言うこと《北朝鮮編》

「同じ視点で見ること」「相手の立場で考える」これは、とても大切な事だと思います。が、同時にとても難しいであって、不可能な事だとも思っています。
 以前、「バカの壁」(養老孟司 著)と言う本が流行りましたが、まさに「バカの壁」いえ「バカの線」の両側からカメラを向けたことがあります。

 2000年に南北朝鮮の軍事境界線(韓国と北朝鮮の事実上の国境。現在、両国はまだ“休戦中”という事になっています)を訪れた折り、同じ場所でありながら、どちら側の人と話し、どちら側の情報を得、どちら側の人に守られているのか。それによって、見えてくる物、そしてその印象がこんなに変わる物なのかと愕然としました。


 8月末に、まず北から板門店(境界線上にある町)に向かいました。平壌からバスで移動中、現地の気の良い中年男性ガイドは常にハイテンション。もともと歌が好きな国民性ではあるのですが、このガイドは特に好きなようで、私たちに歌うようマイクを薦めてくるのです。悪気の無い無垢な笑顔で「さー皆さん歌いましょ〜歌いましょ〜」とやられると申し訳なくなっては来るのですが、そのバスに乗っているのは、ほとんどがマスコミとNGOスタッフだったので、歌う余裕はありません。それでも「なぜ歌わないのですか〜」と、少し拗ね気味なガイドを微笑ましくは思えど、押し付けがましいと言った気持ちにはなりませんでした。
 板門店に近づいてくると簡単な(北朝鮮サイドから見た)南北分断の歴史の説明と、南北統一を願っているという話しがありました。余談ですが、日本人に話しをすると「韓国人が南北統一に賛成で、北朝鮮人が反対」だと思っている人が多くいますが、それは違います。北朝鮮ではどういう立場の方であれ、皆口をそろえて「南北統一」を訴えます。もちろん北の体制で。韓国人は、立場によって意見は違いますが、「統一した方が良いとは思うけど、ドイツの二の舞は嫌だ」と言う意見が多いようです。統一した場合の経済的なリスクも大きな問題なのです。
 軍事境界線に近づくと、以前宿舎として使われていたと言う小さな廃墟化した建物がある程度で、特に何もない荒れた道を進みます。いくつかの休戦交渉に使われた施設をまわったあと、境界線へ。踏み越える事の出来ない境界線は、ただのブロックです。20㎝ほど高さしかないブロックが横たわり、それを跨ぐ形で軍事停戦委員会で使われる簡易な建物が7つ並んでいます。建物内を見学をしている時、ヒヤッとした事がありました。私は撮影に必死になるあまり、案内役であり見張り役の北朝鮮の軍人にぶつかってしまったのです。しかも上官。一瞬「拘束?」「カメラ没収?」よくて「テープ破棄?」とかなり緊張したのですが、その軍人はスッと私の背中を支えて「大丈夫?」とでも言いたげな表情を私に向けて、そのまま何事も無かったように他の人の案内を始めました。あまりに「普通の対応」で、ホッとしたのと同時に軍人の反応を上手く受け止められない自分がいました。このような場所で案内をする軍人なので、見学者に良い印象を与えるための訓練を受けていると言う考え方もあるでしょうが、私は「やっぱり人間は人間なのだな」そんな感想をもちました。
 歌好きなバスのガイド、紳士的な軍人、そしてただただ貧弱な軍事施設。そう言う物を見た上で北から南を見ると、韓国軍人がとても威圧的、攻撃的に感じられます。アメリカに「洗脳」された人達。サングラスをかけて表情を見せない韓国軍人はとても恐ろしく危険で、ピカピカと光る韓国側の施設は心のない空虚な物に感じるのです。日本人の立場からすると理解し難い事かもしれませんが、本当にその時は北朝鮮の方を身近に感じられたのです。

 
 その年の年末、韓国側から同じ場所を訪れました。

と、ここまで書いて、私のパソコンが変な警告を発し始めました。
韓国ではまた違った見え方がしたと言う話しをしたかったのですが
パソコン様も私も、本日は限界みたいなので韓国の話しは次にまわします。


次回につづく
http://d.hatena.ne.jp/tabeo/20060319