同じ視点で見ると言うこと《韓国編》

昨日の続きを書きます。
↓こちらが先です。
http://d.hatena.ne.jp/tabeo/20060318


 その年の年末、韓国側から同じ場所を訪れました。夏にNGOの企画に参加して北朝鮮を訪問した人達の一部が、「南の視点も見てみない事には真実は分からない」と言う思いから韓国の戦跡や施設を訪れ、私もその自作ツアーに同行しました。
 南から軍事境界線の見学をするには、事前の予約、パスポートチェックがあります。その予約の際に当日の服装についての注意をうけました。ジーンズは反米精神の強い北朝鮮軍人を刺激するので控えるようにとのことでした。私達はジーンズで北朝鮮に入国したのですが、私の知る限りではトラブルはありませんでしたし、外国人観光客がジーンズで境界線の向こうを歩くのを、韓国側から見ることができるはずなのです。これが敵対する国同士の関係と言う物なのでしょう。
 板門店に向かうバスの中では、女性ガイドによる(南から見た)分断の歴史といかに北朝鮮が卑劣な国であるかと言った話し。かなり汚い言葉で罵るような場面も。まだ戦争は終わっていないのだと実感させられます。非武装地帯(境界線から2kmは軍の管理下になり非武装地帯になっています)に入ってからも、「何があっても国連軍および韓国軍は責任を負わない」と言う趣旨の誓約書へのサインやビデオ鑑賞などを通して、いかに北朝鮮兵が危険であるかと言った内容を叩き込まれます。北朝鮮ガイドの「いかに我が祖国は素晴らしいか!これも金日成主席、金正日総書記のおかげ!」この繰り返しはウンザリするものですが、韓国ガイドの「これもウソ。あれも偽物。それもプロパガンダ。北側にあるもの全てを信じてはいけません。悪魔です。敵です。」の繰り返しにも閉口させられます。1950年の朝鮮戦争勃発から56年間の憎しみ合いがそうさせるのでしょう。
 韓国ガイドの説明に嫌気を感じながらも、数ヶ月前に境界線の反対側からみた韓国の管理棟である「自由の家」に立ち、今度は韓国兵に守られつつ南から北を見てみると、北朝鮮がとても遠く感じられます。印象が逆転しました。北朝鮮が、どことなく靄がかかり不気味な場所に感じられるのです。北側の兵士は無表情で感情の無いロボットのような印象を持ちました。ベールに包まれ、何を企んでいるのか分からない危険な国。そこに自分はいたのだろうか、不思議な気分になりました。そして、数ヶ月前あんなに傲慢にみえた韓国側の兵士が逞しく思えるのです。


 私が優柔不断なのかもしれません。洗脳されやすい人間なのかもしれません。ですが、多かれ少なかれ、皆、似たような経験があるのでは無いでしょうか?喧嘩の仲裁に入った時、事件の新しい情報が入って来た時、少しの情報でそれまでのイメージが一新したという経験です。私達は、自分が思っているよりずっと少ない情報の中で生きています。その情報のなかで判断をしているのです。


 展望フロアから戻る途中、この自作ツアーに参加した20代の女性二人に「どっちの国の軍人が人間味を感じた?」という質問をしたところ、Aさんは韓国、Bさんは北朝鮮と意見が分かれました。それぞれに「何を見てそう思ったのか」尋ねるとAさんは韓国軍人が建物の裏で携帯電話を使って楽しそうに話しをしているのを見たそうです。また、施設内にテニスコートがあるのを見て人間味を感じたと言う答えをくれました。北朝鮮と答えたBさんはそのどちらも見ていません。その代わりまだ若い北朝鮮軍人に親切にされた経験がありました。落とし物を拾ってくれたと言う些細なことです。


 人間の判断能力など、その程度のものでは無いでしょうか?だからこそ、調査をし、統計をとり、分析をし、多くの視点を、判断材料を増やす必要があるのですが、それも所詮は一部の人が作った一部の人を対象にした調査であり分析なのです。その事を理解しつつデータは使うべきではないでしょうか。
 何かを考えるとき、まず自分と自分の知識を疑ってみる事。そして完全には他人の視点には立てないんだと自覚をし、だからこそ多くの視点を知ろうとする事が大切だと思います。

 それには他者に興味を持ち続け、知りたいと思い続ける事が「理解」の一歩ですね。