もらった言葉たち

マイミクさんとのやり取りで、思い出したことがあります。
まだ私が学生で、就職活動をやっていた頃に、あるプランナーから言われた言葉。

「君は何ができるの?」

何かを「やりたい」と思う気持ちは、実はとても傲慢で、自分勝手な主張だと“自覚すべき”だと思い知りました。自覚すべきに“”をつけたのは、自覚すればそれで良いと言う意味です。何かを「やりたい」、何かに「なりたい」って気持ちは、すごく傲慢だけど、傲慢だと自覚しつつも大切にもちつづけるもの。

当時、私はイベントなどを企画するプランナーになりたいと思っていたのですが、今ほどプランニング専門の会社は多くはなく、企画部狙いでさまざまな業種をうけていました。
そんな時、仲良しの心理学教授(当時は講師)の超強引なすすめで参加させられた(笑)イベントで、このプランナーと会いました。
環境問題を中心に、さまざまな分野で活動する人達の情報交換を目的に催されたイベント。しかも山奥。しかも宿泊型。あやしい。。。
ちょっと宗教っぽい響きに不安になりつつ参加した私は、最年少だったこともあり、何かと皆に可愛がって頂きまして。ちょっと“洗脳”された結果…今に至るわけです。。。

参加してる人達は、やっぱり可笑しな人達。そのなかで、この30代前半男性プランナーは…やっぱりちょっと可笑しい(笑)。野鳥の会を20年やってるらしい。。。
夜、大広間での交流会中にこのプランナーを紹介して頂き、あまちゃんtabeは「行動力なら誰にも負けません」と10人中9人は言いそうなことを長所にあげつつ、「企画の仕事がしたいんです」と…。
返って来た言葉は、


「君は何ができるの?何を企画したいの?何かをしたいと思うなら、関連してないことでもかまわないから、『この事だったら日本中で5本の指に入る』と言い切れる、特技なり特徴を、5つは持ちなさい。」


5本は厳しいだろーー。5つは厳しいだろーー。と思うけど、まあ、言ってることはもっともだと思う。
「やりたい」と言ってる間は何もできない。「やれる」に変えなければいけないって事。
だからと言って、「できること」だけやっていては、そのうち尽きてしまう。「できること」は手段として利用するものでしかないから。

「できること」を使って、「やりたい」を「やれる」に変えて。
それがそのうち「できること」になって。
それを使って別の「やりたい」を「やれる」に変える。
それが「できること」になる。
その繰り返しなのかもしれない。


たぶん、私はそろそろ「何ができるの?」と言ったプランナーと同世代。でも、日本で5本の指に入ることなんか、まだ1つもないや(笑)
彼に比べちゃうと中途半端に育ってしまったと思うけど、まあ、ちょっとづつ「できること」を増やしていくしかないですね。ぼちぼちですな。


他にも色んな人から、色んな言葉を貰って来たなって思います。


他人を認めることって素晴らしい!!と盲目になる私に
心理学教授「否定することも大切だよ」
もっともだ。肯定しかしないのは傲慢だ。


漠然としたビデオ企画をだした私に
係長「タイトルは何?」
何を伝えるのか(もしくは、伝えないのか)自分の中を整理せねば。


仕事がしんどいと電話口で号泣する私に
友人(かなり冷たく)「嫌なら、辞めればいいやんか」
つい忘れてしまうけど、その場を選んでいるのは自分だったのだ。


前代未聞の大抜擢で動揺する私に
隣の課の係長「暇な時、掃除してたでしょ?見てる人はそう言うところを見るんだよ」
これは、今でも怖い一言だ。。。


制作進行(AD)として面接に来た私に
ディレクター「撮影現場で中心人物は誰だと思ってる?制作進行(AD)だよ」
撮影に関わらずどこにおいても、アシスタントという役割はない。



ちなみに、冷たく「辞めれば?」と言った友人に、後日、感謝の意を伝えると「こう言った方が君は辞めないと思ったから」と爆笑してくれました。かんしゃです。
皆様、お世話様でした。