ドミニカ移民


こんな裁判していたのですね。
以前、アルゼンチンで、同じような状況の方々の取材をした事があります。


沖縄出身の具志堅さんは、やはり同じように「戦後、国策として私達は南米におくられた。口減らしだ」とおっしゃっていました。そしてアルゼンチンでは、当時の軍事政権が民主化支持者を弾圧し、連れ去るという事件がおきます。
30年近くたちますが、具志堅さんの息子さんも行方不明のままだそうです。


こうして「戦後」がどんどん消されていくのでしょうか。



<ドミニカ移民訴訟>請求棄却 国責任認めるも 東京地裁 

 1950年代に中米のドミニカ共和国へ移住した日本人と遺族ら170人が「『優良農地を無償配分』などとした日本政府の誇大宣伝にだまされ劣悪な環境での生活を強いられた」として、31億円余の賠償を国に求めた訴訟で、東京地裁(金井康雄裁判長)は7日、国の法的義務違反を認めながら、請求権が消滅する除斥期間(20年)が過ぎたとして、請求を棄却した。日本弁護士連合会が人権侵害と認定するなど「戦後最悪の移民政策」と指摘されたドミニカ移民について、判決が国策の誤りを指摘したことで、国は原告ら移住者救済への対応を迫られる。原告側は控訴する。
 移民募集などの事務は外務省傘下の財団法人「日本海外協会連合会」(海協連、現・国際協力機構)が担当。国が「海協連が主体的に募集選考した」と主張したことから、国の関与や賠償責任が最大の争点になった。
 判決はまず「当時重要な政策と位置づけていた日本国民の海外移住政策の一環として、外務省と農水省が企画立案し、海協連に指示して実施した」と、移住を国策だったと認定。そのうえで「国は、農業に適した土地を確保するよう配慮する職務上の法的義務を負っていた」と判断。入植地の農業適性や面積、所有権の有無などについて「現地調査や情報提供をする義務を尽くさなかった」と、国家賠償法上の賠償責任を認めた。
 しかし、原告の賠償請求権は移住した56〜59年に発生したと指摘。「20年間を過ぎた時点で消滅した。除斥期間の適用が著しく正義、公平に反するとは言えない」として訴えを退けた。
 ▽原告・弁護団の話 移住者は文字通り「棄民」であったことがさらに明らかになった。国策だったことに判決は触れたが、控えめな評価しかできない。移住者の無念や苦しみに「時効」はない。判決の不当性は明らかで、ただちに控訴する。
 ◇ドミニカ移民訴訟=戦後の引き揚げ者対策で56〜59年にドミニカ共和国に移住した249家族1319人のうち、現地に残留した141人が、生活苦のため自殺者や他国への再移住者が相次いだのは国の責任などとして00〜01年、東京地裁に提訴。01年には61〜62年に集団帰国した29人も加わった。1人当たり約350万〜3000万円の賠償を請求している。「戦後最悪の移民政策」と言われ、南米など他の国への移民を巡っては同種の訴訟はない。03年に訴訟を支援する超党派の国会議員連盟が発足。小泉純一郎首相は04年3月「不手際を認め、しかるべき対応を考えたい」と参院予算委で答弁していた。
毎日新聞