「ユニークフェイス・ライフ」


ドキュメンタリー映画ユニークフェイス・ライフ」を観ました。


ユニークフェイス」というのは、顔にアザや傷などのある人のこと。普段、あまり撮影されることを好まない彼らをあえて撮影した作品です。


この映画の面白いところは、制作が「NPO法人ユニークフェイス」、当事者であること。自称「顔にアザのあるジャーナリスト」石井政之さんが監督しています。


当事者である石井さんは、取材される側だけでなく、制作側スタッフの視点も描いています。NPO法人ユニークフェイスとしても、監督石井さんとしても初めての作品で、しかも被写体は仲間うち。インタビューの進め方や、カメラのアングル、撮影の人数、どう切り込んで行くべきかといったことまで、ミーティングで話し合われている様子が盛り込まれています。制作サイドのドキュメンタリーでもあるのです。


しかし、この映画、「…ライフ」と、タイトルをつけたわりには、生活が描かれていません。多少、当事者である女性が美容院に行くのに同行している程度です。インタビューも、あまり掘り下げた質問はしていません。生活が見えてこないのです。
タイトルを「…ライフ」とした以上、普通の「生活」であり普段の「思い」を描くべきです。何が不便で、何が楽しくて、何を好んでいるのか、それがどうユニークフェイスと関係しているのか。視聴者もそれがみたいのではないでしょうか。



結局、この映画は「当事者による映画だ」と言うことが、面白みであり、また限界になってしまったのだと思います。監督の石井さんが、映画後の講演でお話しされていましたが、撮影してても編集をしていても、頭の中に“ノイズ”が入るそうです。監督が当事者であるがゆえに、インタビューにも、映像にも、自分自身を投影してしまう。それが“ノイズ”となり邪魔をするのだそうです。


映像を作る上で、客観的であるべきだとは思いません。(と言うか、絶対的な客観などない)セルフフィルムも良いと思います。しかし、ジャーナリストである石井さんが、同じ問題を抱える仲間にカメラを向けたとき、中途半端は許されないのではないでしょうか。被写体の気持ちが分かるからこそ、他の人には踏み込めない領域に切り込んで描き出すのか、それとも、気持ちが分かるからこそ被写体を思いやって遠慮するのか。。。石井さんには前者であってほしい。


人を題材にしたドキュメンタリーは、制作過程で、被写体も制作者も非常に傷つきます。もちろん、被写体になる方の理解を求めることは大前提ですが。それでも被写体には嫌な経験を話して頂かなくてはいけない。傷つけるのを分かっていながらあえて聞くのは、とても疲れることですが、映像を作るのであれば、作り手自身も傷つく覚悟は必要なのではないかと思います。最終的に、もしかしたら、それは10年後、30年後かもしれませんが、最後に「ああ、撮影してもらって良かったな」と思って頂ければいい。そういう物だと思います。



また撮るらしいので「当事者が当事者を撮る」ことの可能性に期待です。




ゲストでいらっしゃっていた山中登志子さんのお話しも面白かったです。あの「買ってはいけない」の編集者であり、先端巨大症という難病を抱えている当事者でもあります。


その話しはまたいずれ。