「鎮遠」「鎮遠から凱里へ」


9月18、19日の二日間、鎮遠で過ごす。


鎮遠」は貴陽から東へ350キロに位置する古い町、紀元前277年に県が設置され、その後も歴代王朝の重要な軍事拠点とされた。東西に河がながれ、その両岸に民家や寺院仏閣が張り付くように密集している。


私は、旅行に出ると早起きになる。


朝もやの中に、もやっと見える町がとても綺麗だった。


 



 



通勤、通学の子供達を追いかけるのも楽しい。



小さな市場が開かれていた。奥に見えるのは学校。



アジアの国々では、朝食は外の屋台で食べるという国が多い。
子供達も、肉まんやヌードルなどを買って歩きながら食べていた。


 


「写真を撮ってもいいか?」とカメラを向けると、皆、表情が固まってしまう。笑。やっと、良い顔が撮れたと思ったら、手ぶれした。。。



私も店で朝食をとる。辛い。とにかく、辛い。。。。



この辺りの人達は、なんにでも唐辛子を入れる。とにもかくにも、唐辛子。
町中唐辛子。

 


脇道に入ってみる。
こういう階段って、魅力的だ。


 

[:]


中庭に机を出して子供が勉強。
私に気づいてよそ見をしていたら、家の中からお父さんの激が飛んだ。



 




この3人組、めちゃカワイイ。
男の子は尻にしかれている模様。



 
 

この子の表情も、ステキだ。笑




「清龍洞」は14世紀創建の宗教施設。仏教、道教儒教の神々が一緒にまつわれている。


屋根が面白かった。


 


 



夕方になると、皆、屋外にテーブルを出して食事をする。


 


ここ鎮遠だけでなく他の街でも、夜になると広場に沢山の女性が集まり、ラジカセで音楽をかけ、太極拳のような動きで踊る。



子供も踊る。



この写真を撮った後、彼らの襲撃を受け、tabeo撃沈。





鎮遠から凱里へ


鎮遠に着いた時、駅で凱里ゆき電車の時刻表をチェックしなければいけなかったのだけれど、イスラエル人との英語のやりとりに全注意力を持っていかれ、忘れていた。。。


ホテルのフロントに「凱里往き 電車時間」と中国語で書いたメモを見せた。こちらの訊きたいことは伝わったようだが、見せてくれた時刻表の見方が、もうひとつよく分からない。困っていると、中国人男性が英語で話しかけてきた。彼の英語力は私よりちょっと上くらい。それくらいの方が私にとって理解しやすい。
その男性の通訳のおかげで、電車の出発時間ゲット。


バス移動も良いかなーと、バス停に行ってみた。町中から少し外れたところにバス停があり、凱里までのバスは1日4本ほどあった。でも、あまり都合の良い時間ではないので、電車移動に決めた。


このバス停に、安全運転啓蒙の目的だと思うんだけど、交通事故の現場写真が掲示されていた。遺体の写真も、まんま。身体が変な方向にネジ曲がってたり、頭が、、、だったり。ちょっとエグイ。。。啓蒙効果はあるかもね。。。。。


その近くに、工作員と書かれた掲示板があり運転手の写真が貼られていた。運転手の意識をあげる目的もあるのかな。「工作員」、こういうのを見るたび、日本の報道が使う「工作員」の使い方って間違ってんじゃないかと思う。ま、どうでもいいけど。。。



駅に行き、ホームで電車を待っていると、ホテルで通訳をしてくれた男性にまた会った。同じ電車にのるらしい。車内は英語のアナウンスが無いので、ちゃんと凱里で降りられるか不安に思っていた。彼とここで再開したことは、かなりありがたい。


凱里までの3時間、いろいろと話しをした。


彼の名前は金さん。飛行機のエンジニアで、その訓練校で英語を習ったそうだ。中国人にしてはかなり話せるほうなのだけど、誉めると「いえ、僕の英語はだめなんだ。」とはにかむ。可愛い人だ。


私のことは初め、韓国人だと思ったそうだ。韓国人観光客は多いのか訊いてみると、日本人より少ない、という。北朝鮮人と韓国人は同じくらい。一番多く見るのはフランス人なのだとか。貴陽のガイドもフランス人が多いと言っていた。


彼は中国茶の紅茶が好きなのだそうだ。最近では中国国内にもスターバックスが増えて来たという。でも、なんとラテ1杯30元(480円)もするらしい。日本国内より高い。誰が飲むの?と訊くと、金持ちの息子とかヤナ感じの奴らが飲んでるよ的なことを言っていた。その後、広州でスターバックスを見つけたので、価格を見てみると、本日のコーヒーが28元、あとは30元以上だった。お客は西洋人のみ。たぶん高い税金かけてるんだと思うけど、それでも客が入るみたいだから、それはそれで良いのかもしれない。


金さんと別れ、凱里で下車。


凱里は思ったより街だった。縦横に2本の大きな通りがあり、その通りが交わる交差点を中心に商業ビルが立ち並ぶ。


街の様子については次回にまわすとして、


夜、屋台でも良い出会いがあった。


夕食を食べようと出てみたものの、良い店がみつからない。また街角の簡易食堂でヌードルってのも芸がない。たまにはファーストフードも、と思って一件だけあるファーストフードの店を覗くと、明らかにアメリカ人の家族がフライドポテトを怠そうに食べてて、、、却下。


フラフラしていると、現地の人で賑わった店を発見した。取り壊し前なのか、立ち退いた建物の一階部分の壁を取り除き、半分タイルが剥がれた床に簡易のテーブルセットを並べている。もちろん路上にも浸食。ほとんどの席が埋まっていて、みな楽しそうに食事をしていた。


野菜中心の炒め物がとても美味しそうで、ここに決めた。メニューは無いので、周りの席で食べられてる料理を指差して注文。コーンとトマトを炒めて卵でとじたもの。青菜と豚の炒め物。白菜などのスープ。ご飯はオマケでついてくる。


料理を待っている間、暇だったので、隣の席で食事をしていた男性達に「写真を撮らせてくれ」とお願いをすると、快くOKしてくれた。


この時はもう彼らは食事をほとんど終えていて、私が撮った写真を見せると、盛り上がってくれた。私の席の方に移動してきて、会話帳とメモを使っての会話。

私は旅の日程を披露し、彼らは食事の仕方を教えてくれた。私はこれまで、スープに入った薬味を全部食べていたのだけど、風味づけのものなので食べないらしい。一人の男性は、私が不用意に何でも口にするので、炒め物の中の唐辛子を丁寧に取り除いてくれた。



初めは7、8人いた男性達も、しだいに帰って行き、2人だけ残った。そのうち1人は、妙にじーーっと見てくるし、1人で来たのか?とか、ホテルは近いのか?どこにある?といった質問をしてくる。彼らは少しお酒も入っているし、不用意に声をかけたことを後悔し始めた。やばいかなーーと思いつつ「他の人達は帰ってしまったけど、あなた達は大丈夫なのか」とジェスチャーで訊くと、あっっっっさり「あ、じゃー帰るね」といった感じで立ち上がった。どうやら、1人で食事をしている私に気をきかせて座っていてくれたみたいだ。しかも、初めの方で帰った男性が、私の分の会計まで済ませてくれていた。「プーシー!プーシー!!(No!No!!)」と断ったけれど、食事を続けなさいとテーブルを指差し、笑って彼らは帰って行った。


たぶん数百円のことだと思うんだけど、逆の立ち場で考えた時、奢れるかな。私が、東京でたまたま出会った中国人旅行者に夕食を奢れるかと思うと、、、。
いや、ほんと、美味しかった。楽しかった。謝謝。


中国人のイメージが大きく変わった一件だった。